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ローメン総説その1 ローメン誕生 [伊那市ローメン]

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 ローメンは1955(昭和30)年に「萬里」店主故「伊藤和弌(わいち)」氏の手によって産み出された麺料理である。この頃は冷蔵庫が現在のように普及しておらず、痛み易い生麺の保存に苦慮していた。伊那市の「服部製麺所」の「服部幸雄」氏の協力を得て麺の保存法に関する工夫を重ねていたが、ある時麺を蒸して半乾きにすることで長期保存が可能な事を見出した。麺を蒸したことによる副産物として独特の色合い(褐色調)と食感(モサッとした表現される)も得られた。更に伊那近郊では羊毛を採取するために養羊業が盛んで廃羊の肉が流通していた。羊肉も塩蔵等で保存性を高めてはいたものの腐って廃棄になる分が少なからずあり、入手の容易なキャベツと合わせて具材として取り入れられた。当時を知る人は「ローメンは廃物利用から誕生した」のだと云う。
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 ローメンの原型の製法を記す。乾麺を茹でて戻し、スープを加えて炒めたキャベツと羊肉を入れ少し煮込む。スープには豚頭を使用しベースは醤油味、砂糖で甘味を付ける。当初は「炒肉麺(チャーローメン)」と呼称されていたが、しだいに「炒」が取れラーメンに語感の似た「ローメン」で最終的に定着した。
 ローメンは食事としてのみならず酒のつまみとしても評判を呼ぶようになった。地域振興を見据えて(当時はかなり先進的な考えだったと思われる)か故伊藤和弌氏がローメンの名称使用を自由としたため次第に伊那市内でローメンを出す店が増え始め今に至る。このローメンの名称使用に何らの制限も設けなかったことが後に少々の混乱を呼ぶことになる。
 余談だがローメンはその名称から推察されるように中華料理にそのルーツがある。故伊藤和弌氏の姉が中国で亡くなられ甥が残留孤児と成りながらも無事に生存していたことを契機に彼の国に対して大変興味を持っていたそうだ。日中友好を願い生涯に渡って尽力していたことが新聞記事等を通じて確認できる。
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 伊那市入船交差点にある萬里グループ(注1)のビルの壁面には日中友好の文字が今も掲げられている。

 冒頭の碑には「ローメン誕生の地」と書かれている。入船交差点萬里グループの一店「 くし焼き麺房屋台」隣にローメンを愛する有志の会によって2004年11月25日建立された。
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 碑文全文を以下に記す。
「まだ戦後の混乱と食糧難が尾を引いていた昭和三十年 服部幸雄氏の協力を得て伊藤和弌氏の発案によってこの地にローメンが誕生した 冷蔵庫もない時代 日持ちをよくするため考え出された蒸し麺と 当時は食べる習慣のなかった羊肉を用いたローメンは 味と栄養を求める多くの人々の支持を受けた やがて「飽食の時代」と言われるようになっても 大陸を思わせるその独特の味の人気は衰えるどころかさらに広がり 伊那市 伊那商工会議所の支援を受け またローメンを支える多くの人たちの努力によって伊那市を代表する味覚へと成長した 誕生から五十年を経て 今なお多くの人々に愛される「伊那の味」として愛好者が全国に広がりつつあるローメンのさらなる発展を祈りつつ ここに誕生の記憶を刻む」

注1)萬里グループは萬里本店を旗艦としてくし焼き麺房屋台、萬里彩園、ろじん(現在は閉店)、萬里食品センターが傘下にある。萬里グループのローメンはスープ風でキャベツ、木耳を用いている点は共通だが、故伊藤和弌氏の指示で店舗毎に少しずつ味を変えている。
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