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ローメン総説その3 ローメンズクラブ [伊那市ローメン]

 現在の伊那市にはローメンズクラブというローメンを提供している御店主方が所属する組織がある。1994年に伊那商工会のローメン委員会(ローメンを愛する会)として発足し現在の形となった。ローメンを伊那谷のみならず日本全国に広げるために活動している。
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 発足当初の加盟店は「ウエストフーズ市役所食堂(現アザレア)」「印度屋(脱退)」「スナック喫茶ポッケ」「志ぶ柿」「中華料理田村食堂」「串正」「鍋焼城(閉店)」「うしお」「食事処・酒処馬っこ(閉店)」「紋次郎」「ろじん(閉店)」「すずめ食堂(脱退)」「萬里」「上々麺舞(閉店)」「シャトレ」「中国料理みどり」「来々軒」「竜門」「教習所食堂萬里(現萬楽)」「レストラン四方路(現四方路)」「味の直吉(閉店)」「レストラン城山(閉店)」「ラーメン大学伊那インター店」「かさい食堂(閉店)」「みや川食堂」「レストラン愛球(閉店)」「日本料理あすなろ」「味心あずま(閉店)」「食堂とよばら」「たかしま(閉店)」「四季亭森田(現四季亭もりた:ローメンはしばらく提供中止)」「楽(閉店)」「南中食堂(閉店)」「萬里松島店(閉店)」これに服部製麺所、木曽屋、萬里食品センターが名を連ねていた。閉店された店は多くが御店主の高齢化や病気による引退や死去に伴うものだ。一時は伊那市だけでもローメンを扱う店舗が100軒近くあったとされるが、筆者の調査では50軒前後と半減していた。
 2011年のローメンズクラブは上記の赤字の店舗に加え「花ぜん本店」「みはらしファームとれたて市場」「萬里彩園」「華蔵」「お食事処みすず」「とまり木」「ともえ食堂」「天壇」「和しん」「森のカフェテラス」が加わっている。
 2010年は愛Bリーグが主催するB-1グランプリ参加の前段階にあたる中日本B-1フェスタへのローメンの御披露目が成された。スープ風と焼きそば風の2種類があるため統一性が無く審査が通りにくかったようで念願の出品である。スープ風と焼きそば風をミックスしたような形態のローメンとなっておりフェスタでの評判は悪くなかったようだ。ローメンズクラブ会長によると300杯くらい売れればいいやとのつもりで望んだようだが3000杯を越すオーダーは嬉しい誤算だったとのこと。全国各地のイベントに精力的に参加していく予定だそうで貴方の町でもローメンを味わえる日はそんなに遠くないかも知れない。

 毎年6月4日は「ローメンの日」としてローメンズクラブ加盟店ではローメンの割引サービスが受けられる。ローメンの蒸し(むし)麺に引っ掛けて6月4日としてある。毎年この日を狙って食べ歩きをする県外ファンもいるようだ。MAP付きのパンフレットが加盟各店に用意されているのでこれを見ながら食べ歩きを楽しんで欲しい。夕方からしか開かない店もあるので昼のローメンと夜のローメンの両方を堪能していただければ幸いだ。
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 共通の幟と青い暖簾が目印だ。
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ローメン総説その2 ローメンの分化 [伊那市ローメン]

 ローメンは2種類のタイプに大別される。
 萬里を祖とする「スープ風」と呼称されるスープの多いタイプと「焼きそば風」と呼称されるスープの少ないタイプである。後者は伊那市駅前の「うしお」が元祖とされる。
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 初代の兄が戦時中に満州で覚えた料理を持ち帰りアレンジしたそうで麺、キャベツ、マトンを炒めてソースで味付けする。
 スープ風ローメンと同じような材料を用いながらも方向性の異なる料理にもローメンの名称が使用されたためローメンの定義に混乱が生じた。
 しかしながら2系統に分化したことでヴァリエーションが広がり現在見られるような種々多様な味わいが生まれたことは否めない。
 実際は両者の中間の調理法を駆使している店舗もあり完全には区別できない。
 ローメンのもう一つの特徴として客が自分の好みで調味料を追加する点が挙げられる。多くの店舗でソース、酢、唐辛子、大蒜の摩り卸、胡麻油を常備、変り種としてマヨネーズ、カレー粉、辣油等を使用できる店舗がある。
 初めての客は種々の調味料をどう使用して良いか判らず途方に暮れてしまうかも知れない。焼きそば風のローメンは比較的味付けがしっかりされており初心者にも取り付きやすいはずだ。スープ風のローメンはベースの味付けがしっかりされている店舗からローメン体験を始めて行くのが良いだろう。

 現代のローメンは無秩序の状態にある。どこまでをローメンに含めて良いのかも今もって明示されておらず、ローメン店の店主も悩んでいるのが現状だ。
 オリジナルの服部製麺所の麺を使用していなければローメンとは呼べないかと言うとそうでは無い。実際にローメンズクラブ加盟店でも独自に中華麺を蒸して使用している店舗がある。
 羊肉を使用していることが特徴の一つではあるが、羊肉の独特の匂いや癖が苦手な人が増えているせいか最近はマトンの代わりにラムや豚肉での提供をする店が増えてきている。
 とある店主は「マトンを使っているのだけが本物のローメン、豚肉を使ったりするのは紛い物だよ」と言い切る。豚肉にすると確かに食べ易くはなるがマトンより野趣が薄れる。最初は豚肉でも良い。ローメンそのものに慣れたら是非マトンで味わってほしい。

ローメン総説その1 ローメン誕生 [伊那市ローメン]

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 ローメンは1955(昭和30)年に「萬里」店主故「伊藤和弌(わいち)」氏の手によって産み出された麺料理である。この頃は冷蔵庫が現在のように普及しておらず、痛み易い生麺の保存に苦慮していた。伊那市の「服部製麺所」の「服部幸雄」氏の協力を得て麺の保存法に関する工夫を重ねていたが、ある時麺を蒸して半乾きにすることで長期保存が可能な事を見出した。麺を蒸したことによる副産物として独特の色合い(褐色調)と食感(モサッとした表現される)も得られた。更に伊那近郊では羊毛を採取するために養羊業が盛んで廃羊の肉が流通していた。羊肉も塩蔵等で保存性を高めてはいたものの腐って廃棄になる分が少なからずあり、入手の容易なキャベツと合わせて具材として取り入れられた。当時を知る人は「ローメンは廃物利用から誕生した」のだと云う。
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 ローメンの原型の製法を記す。乾麺を茹でて戻し、スープを加えて炒めたキャベツと羊肉を入れ少し煮込む。スープには豚頭を使用しベースは醤油味、砂糖で甘味を付ける。当初は「炒肉麺(チャーローメン)」と呼称されていたが、しだいに「炒」が取れラーメンに語感の似た「ローメン」で最終的に定着した。
 ローメンは食事としてのみならず酒のつまみとしても評判を呼ぶようになった。地域振興を見据えて(当時はかなり先進的な考えだったと思われる)か故伊藤和弌氏がローメンの名称使用を自由としたため次第に伊那市内でローメンを出す店が増え始め今に至る。このローメンの名称使用に何らの制限も設けなかったことが後に少々の混乱を呼ぶことになる。
 余談だがローメンはその名称から推察されるように中華料理にそのルーツがある。故伊藤和弌氏の姉が中国で亡くなられ甥が残留孤児と成りながらも無事に生存していたことを契機に彼の国に対して大変興味を持っていたそうだ。日中友好を願い生涯に渡って尽力していたことが新聞記事等を通じて確認できる。
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 伊那市入船交差点にある萬里グループ(注1)のビルの壁面には日中友好の文字が今も掲げられている。

 冒頭の碑には「ローメン誕生の地」と書かれている。入船交差点萬里グループの一店「 くし焼き麺房屋台」隣にローメンを愛する有志の会によって2004年11月25日建立された。
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 碑文全文を以下に記す。
「まだ戦後の混乱と食糧難が尾を引いていた昭和三十年 服部幸雄氏の協力を得て伊藤和弌氏の発案によってこの地にローメンが誕生した 冷蔵庫もない時代 日持ちをよくするため考え出された蒸し麺と 当時は食べる習慣のなかった羊肉を用いたローメンは 味と栄養を求める多くの人々の支持を受けた やがて「飽食の時代」と言われるようになっても 大陸を思わせるその独特の味の人気は衰えるどころかさらに広がり 伊那市 伊那商工会議所の支援を受け またローメンを支える多くの人たちの努力によって伊那市を代表する味覚へと成長した 誕生から五十年を経て 今なお多くの人々に愛される「伊那の味」として愛好者が全国に広がりつつあるローメンのさらなる発展を祈りつつ ここに誕生の記憶を刻む」

注1)萬里グループは萬里本店を旗艦としてくし焼き麺房屋台、萬里彩園、ろじん(現在は閉店)、萬里食品センターが傘下にある。萬里グループのローメンはスープ風でキャベツ、木耳を用いている点は共通だが、故伊藤和弌氏の指示で店舗毎に少しずつ味を変えている。
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